★★ 父と息子の「チャリ」旅行記 山陽道編 〜大分めざして〜 ★★ |
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<毎日、太陽との勝負>
夜明け前出発予定が荷物の準備が十分でなくAM 7:00出発。
既に太陽は燦々と輝き、ニコニコした満面の笑顔で我々の前途を祈り励ましの言葉を贈ってくれているようであった。
背中に太陽の熱い視線を感じながらひたすら西のルートを目指した。
暑い日が続く、毎日が太陽との駆けっこ勝負だ。いつも太陽が寝ている間に抜けがけし飛び出すが、お寝坊太陽はお昼には余裕で我々に追いつき、真上から見下ろすのだ。
太陽が寝ている間の時間が唯一の我々の貯金だ。しかし、お昼までに貯金は使い果たされる。
彼が追いつくと、もう我々は彼から隠れることはできない。再び追い抜くこともできない。
まるで、抜け駆けしたことに対する罰のように、彼は熱い強烈な視線を我々に降り注ぐ。
彼が海や山に熱い視線を降り注ぐと、青い海は鮮やかな青に、深い緑が輝く緑に変わり、ひとつひとつの葉はキラキラと輝いていた。誰かが観たら、我々の滝の様に流れる汗もキラキラと輝いていたかも知れない。
夕暮れには太陽は我々を大きく引き離し、遙か彼方で「また明日も駆けっこして遊ぼう」 と言って眠りにつく。地の向こう側に身体を沈める。日没になっても目的地に着かない我々は太陽という目標を失い心細くなる。
息子は明日は3時に起きてもっと出し抜いてやろう!と言う。
昔の人も太陽と競争して早起きしていたのだろうか?なぜか、宮沢賢治の 「よだかの星」を思い出す。自然にとけ込むと「よだか」が太陽や星と語りだすシーンが当たり前の様に思える。
チャリ旅行は毎日が太陽との駆けっこ競争だった。
太陽にこんなにも表情があり、我々の心境を変化させるほど身近に感じた事は人生の中で初めてであった。毎日景色が変わり違う顔を見せる太陽であった。
きつくもあり、優しくもある、力強いエネルギーを感じる太陽であった。
地球が「母なる大地」なら、太陽は「生きるエネルギーを与える乳、いや遅々、いや父」だ。
息子も私も太陽に愛され肌が真っ黒に焦げた。
海と山と太陽に包まれた旅であった。
今年は太陽がいっぱい居た夏であった。
また、太陽と語りながら旅をしたいと心から切望する。 |
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